群馬県商工経済会時代(昭和18年~昭和21年)

昭和18年3月11日法律第52号によって「商工経済会法」が施行された。その目的とするところは、「国民経済の総力を最も有効に発揮せしめるため、国策に協力し産業経済の円滑な連絡を図るとともにその改善向上に努めること」と規定されていた。そしてその事業は、産業経済に関する統制に対する協力、商業経済の運営または整備に関する連絡、産業経済の改善向上に関する施設、調査研究、仲介またはあっ旋に集中されていた。
すなわち、12年に日華事変のぼっ発に始まった戦時体制は、16年の太平洋戦争に突進したことによって、いよいよ決戦体制の名のもとに、すべてが戦争目的に集中され強力な統制が加えられた。こうした戦時下に公布されたのが商工経済会法である。その目的にもあるとおり新しい経済機構をつくることが目的であった。
したがって、従来地域別に設立されていた商工会議所は、全県一つの経済会に統合され、主務大臣の命令によって設立された。会員は業者の強制加入に改められ、役員は官僚の任命許可制度とし、完全なる官僚統制組織の経済会となったのである。
当商工会議所は、同法に基づいて9月17日付で商工大臣から設立を認可され、続いて10月10日前橋商工会議所の解散式を行った。

 
ここに誕生した「群馬県商工経済会」は、定款によって前橋市内に本部をおき、さらに前橋、高崎、桐生、伊勢崎に各支部をおき、太田、館林、沼田、中之条にはそれぞれ出張所をもつ群馬県下一円の組織であった。
商工経済会の会員資格は、国税20円以上を納め、
1、商業、交易業、工業、鉱業、金融業、電気事業、交通運輸業または土木建築業を営む者
2、以上の事業を営む者を以て組織する団体
3、その他産業経済に関する団体であって、地方長官の指定するもの
とし、資格を有する者は、すべて加入し会員となり、同時に経費を分担する義務が課された。したがって、会員は多数となったので、総会にかわって総代会がおかれた。
一方役員をみると、会頭、理事、監事及び評議員とし、その外に副会頭は2名以内、理事長1名おくことができた。会頭は、選考委員の推薦した者の中から地方長官の意見を聞いて国務大臣が任命することとなった。副会頭以下理事長および理事は、地方長官の承認を得て会頭が任命する規定であった。
このように商工経済会の役員は、会頭は政府が任命することによって、国策の一貫性を確保したのである。

 

思えば商工会議所は、自主的な経済団体として誕生しながら、その機能を失ったこの制度は、会議所制度におけるブランクな時代であったといえよう。